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東京地方裁判所八王子支部 昭和25年(わ)150号 判決 1962年5月16日

被告人 山本博

大八・二・五生 会社員

小野田啓俊

昭三・八・二一生 塗装看板業

主文

本件各公訴を棄却する。

理由

(一)  被告人両名は、宮田日出吉、豊田春二、光石栄二、張錫公とともに、昭和二五年三月一五日付同日提出の起訴状によつて、在宅で起訴された。

公訴事実の要旨は、被告人らは、八王子公共職業安定所関係各工事現場に就労の自由労働者五九名位とともに、昭和二五年三月三日午前一〇時ごろから八王子市八日町四一番地所在の右職業安定所につめかけ、同所事務室に入り、同所長崎山竜之助らに対し、市町村民税の免除、交通費の事業主負担、地下足袋・作業服の無償配給、同日の旅費日当の支払、団体交渉権を認めることなどの要求や完全就労の要求をしたが、同所長から完全就労の点は努力する。その余の要求には応じられないと拒否され、同日午後二時四〇分ごろ交渉打切りを言明され、午後五時に至り同所長から口頭および貼紙掲示の方法で退去方を要求されたにもかかわらず、右要求をくりかえし、同所長からの再三の退去要求、同市警察職員からの退去勧告をも無視して、午後八時四五分ごろに至るも、同所長の看守する右事務室から退去しなかつたものである、というのであり、罪名は建造物侵入(刑法一三〇条)である。

記録によると、昭和二五年一二月八日に第一回公判期日が開かれたが、被告人全員不出頭で、次回期日は追つて指定とされ、その後一〇年余を経過した昭和三六年五月九日に至つてはじめて、当裁判所による第二回公判期日が開かれたのである。

(二)  本件については、起訴状謄本の送達について争いがあるので、はじめに、その点についてのべる。

(イ)  被告人山本について

記録中の東京地方裁判所八王子支部執行吏木村直広代理橋本郡次郎作成の昭和二五年三月二五日付送達報告書には、同執行吏代理が、同日午後三時五〇分、八王子市上野町九九番地で、起訴状謄本を被告人山本に交付して送達したという趣旨の記載があり、書類受領者の署名・捺印欄に、同執行吏代理による代筆として「山本博」と記載され、指印がおされている。そして、鑑定人三木敏行の鑑定書によれば、右の指印は、被告人山本の左手の母指の指印であると断定できるというのである。このように送達報告書の指印と被告人の指印との同一性が決定的なものとされ、右の判定を動かすに足りるような資料が他にないのであるから、同被告人については、公訴提起の日から二ヵ月以内に起訴状謄本の適法な送達があつたものと認めることができる。

(ロ)  被告人小野田について

記録中の前記執行吏代理橋本郡次郎作成の昭和二五年三月二四日付送達報告書には、同執行吏代理が、同日午後一時三〇分、日野町豊田富士電機第一富国寮内で、起訴状謄本を被告人小野田に交付して送達したという趣旨の記載があり、書類受領者の署名・捺印欄に、同執行吏代理による代筆として「小野田啓俊」と記載され、指印がおされている。そして、鑑定人三木敏行の鑑定書によると、その指印は、被告人小野田の左手の示指の指印である可能性がつよいというのである。しかし、同被告人の指印と断定することはできないというのが、同鑑定書の趣旨であり、同鑑定人に対する当裁判所における二回にわたる証人尋問の結果を検討すると、種々問題の余地もあつて、右送達報告書の指印を被告人小野田の指印であると断定することの困難な事情が一層あきらかである。もつとも、同被告人についてはつぎにのべる事由があるので、同被告人に対し起訴状謄本の適法な送達があつたことを認めることができるかどうかについての最終的な判断は、留保しておくことにする。

(三)  つぎに、本件については、弁護人から、一〇年以上本件の手続が放置されたことは、迅速な裁判を保障する憲法の条項に違反し、これによつて公訴権ないし裁判権が消滅し、また公訴の提起が失効したものといわなければならないから、免訴(刑訴三三七条四号の準用)または公訴棄却(刑訴三三八条一号または四号)の判決がなされるべきであるという主張があるので、この点について判断する。

記録を調査すると、相被告人である宮田、豊田、光石に対する昭和二五年一二月八日の第一回公判期日の召喚状は、いずれも不送達になつており、当時の担当裁判官から、昭和二六年二月一日付の各書面で、東京高等検察庁検事長に対し右三名の所在捜査を嘱託しているのであるが、被告人山本、同小野田(および相被告人張)については、同公判期日の召喚状が送達された趣旨の送達報告書が提出されているから、被告人山本、同小野田に対しては、当然公判手続を進行することが可能なものとみられたはずであるのに(所在捜査が嘱託されたのは、前記宮田、豊田、光石の三名だけであることに注目を要する)、その後訴訟の進行に関しなんの手続もとられないままで、約一〇年に及んでいるのである(のちに、昭和三五年一〇月に至つて、東京地方検察庁八王子支部検察官から、被告人山本については同月一五日付、同小野田については同月二〇日付の各書面で、「所在判明」の通知がなされているのは、その当時、不進行記録の被告人一般について所在捜査の措置がとられた結果である。そして、昭和三六年一月三一日に同年三月三一日の公判期日が指定されたが、この期日は弁護人の請求によつて変更され、前記のように、同年五月九日はじめて当裁判所による第二回公判期日が開かれたわけである)。

公訴時効の期間が三年(刑訴二五〇条五号)であり、確定した刑の時効の期間でも五年または三年(刑法三二条三号四号。本件が訴因どおり有罪とされ懲役刑が科せられたと仮定した場合の刑期が、三年に達しないであろうことは、きわめて自然な想定である)にすぎないような事件について、およそ一〇年の徒過は、たしかに異常に長い。

被告人山本、同小野田について手続がこのように放置されたのは、おそらく、当初しばらくは、送達不能になつた相被告人らとの併合審理をするためであつたろうが(むろん、そのことは一〇年にわたつて手続をそのままにしておく理由にはならない。この事件で相被告人らといつしよでなければ審理できないというような事情はなかつたのである)、のちには、誤つて、全被告人について送達不能になつているものとして、事件や記録が受けつがれ取り扱われてきたため、右のような結果になつてしまつたもののようである。

一般に、時の経過によつて、想像以上に、証拠は滅失ないし散逸し、または確実さと説得力とを失い、事件の背景と意味とはより了解しがたいものになる(結局、捜査書類だけが残り、それが種々の理由から証拠能力をもつことになるとすれば、その結果はしばしば被告人側に不当に不利益である)。憲法三七条第一項が被告人に対して迅速な裁判を保障しているのは、裁判を待つことの苦痛とともに右のような事情を考慮しているものと考えなければならない。もつとも、手続の遅延も、被告人側の責にもとずく場合あるいは真にやむをえない事情による場合がある。保釈中の被告人が逃亡した場合、在宅起訴であつても公判期日の召喚状が送達不能になつて所在捜査中であるような場合、あるいは被告人側で事故のある相被告人との併合審理を特に求めたような場合などが、その例である(被告人自身が長期間病床にあるような場合も、むろんこれにはいる)。

しかし、本件については、被告人山本、同小野田に関するかぎり、このような事情は認められない。被告人両名については、結局、手続が不当に放置されていたものといわざるをえないと考える(一般に、大きな支部はきわめて多忙なものであり、不十分な人手で多数の事件を処理する負担からきた意図しないしわよせであつたとおもわれるけれども、右の客観的な結果そのものをおおうことはできないのである)。そして、本件のような訴因の事件(前記のような公訴時効期間、刑の時効期間に留意)について、約一〇年の歳月は、単なる当否の問題のわくをこえていちじるしく長いのであり、実例としてもまことに希有である(日々に無数の事件を送り迎えている裁判所の視点だけからは、あるいはそれほどの期間にみえないかも知れないが、一〇年が個々の被告人に対してもつ意味を理解すべきである。なお、審理をつづけて一〇年を経るのと、全然審理なしで一〇年を経るのとでは、また大変な相異がある)。

以上のように、本件の場合には、被告人両名について手続がはなはだしく長期間不当に放置されていたものというべきであり、このような極限的事例においては、これにより訴追の相当性は救いがたい影響を受け、手続の正義を支えるべき訴追の正当な利益が失われるに至つたものと考えなければならない。そして、このような意味における訴追の正当な利益の存続は、公訴の適法要件として刑訴法が本来当然に要求するところであると解すべきであるから、結局、被告人両名に対する本件公訴は、適法要件を欠くに至つたものであり、公訴提起の手続自体が不適法であつた場合に準じて、刑訴三三八条四号により、公訴棄却の判決をしなければならないのである。

(裁判官 戸田弘)

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